龍馬の名言
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龍馬の残した名言は多く、さまざまな龍馬伝の中でも取り上げられていますが、中には、人伝えとして残されているものも少なくありません。
ここでは、史料として実際に残されている名言をご紹介します。
◆「世の人はわれをなにともゆはばいへ、わがなすことはわれのみぞしる」
この和歌は、坂本龍馬が姉の乙女宛てに作った詠草集である「詠草二」に収められています。
意味は、「世の中の人たちが自分のことを何と言おうが言わせておけばよい(何と言われようが私は構わない)、自分がとっている行動の行く末は自分だけが知っている。(自分が信念を持ってやっていることは自分だけがわかっている。)」と、されています。
この「詠草二 和歌」は京都国立博物館に収められています。
龍馬は、三十数首の和歌を残したといわれています。
ほかの幕末の志士とは異なり、叙情的で柔らかい歌がほとんどですが、この歌は、龍馬には珍しい直情的ともいえる歌となっています。
そのため、この詠草集が作られた時期は1861〜1867年の文久慶応年間ではなないかとされていますが、この歌自体が詠まれたのはまだ若い頃で、龍馬自身が以前に詠んだ歌として覚えていたものを、十数年後に詠草集に入れたのではないかとされています。
一般的に言われているのは、龍馬16歳ごろの作というものです。
大河ドラマ「龍馬伝」の、第1〜2回のころの龍馬です。
少年期、勉強も剣術も出来なかった龍馬の、内に秘めた意志の強さが感じ取れる歌となっています。
日本で初めての会社組織を作った龍馬のこの歌は、成功者の言葉として、起業家の方々が座右の銘とされることの多い歌でもあります。
◆「日本を今一度せんたくいたし申候」
(日本を今一度洗濯いたし申し候)
この言葉は、龍馬の生きた道をよくあらわしているとともに、龍馬の名言として一番良く知られている言葉ではないかと思います。
多くの龍馬伝では短い言葉として使われていますが、実は、姉の乙女に宛てた長い手紙のなかの一節を抜き出したものです。
その書状は京都国立博物館に所蔵されています。
乙女は龍馬より3歳年上で、多くの龍馬伝の中では、大柄で男勝りな性格として描かれています。
12歳で母親を亡くした龍馬の母親代わりとなり、泣き虫だった龍馬を、厳しく、また優しく育て上げたそうです。
龍馬も乙女をこと慕っていて、脱藩後も頻繁に手紙を書き送っています。
この言葉が書かれた手紙は、1863年(文久三年)9月29日付けのものです。
手紙の冒頭で、「この文は極大事の事ばかりにて」として、他言無用と釘を刺しています。
そして、「然に誠になげくべき事はながとの国に軍初り、後月より六度の戦に日本甚利すくなく、あきれはてたる事ハ、其長州でたたかいたる船を江戸でしふくいたし、又長州でたたかい候
是皆官司の夷人と内通いたし候ものにて候
(中略)
同志をつのり、朝廷よりまづ神州をたもつの大本をたて、(中略)右申所の官吏を一度に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候」と続きます。
意味は、次のようなことです。
「長州藩が外国船に攻撃をしたが、日本が得るものは少ない。
あきれた事に、幕府は長州で破損した外国船を江戸で修復し、また長州で戦わせている。
官吏が外国人と密通しているのだ。
同志を集め、日本という国を立て直すという志のもと、官吏を倒し、日本を今一度洗濯することを願っている。」
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